H.B.A JAPAN
日本・アジアにおけるブラックヘア・ヘアブレイディング業界で先駆者的存在でH.B.A JAPAN代表のEmiko "Emiko" Najima。美容業界に40年以上携わり一般社団法人H.B.A JAPAN (Hair Braiders Association Japan®) を設立しました。
H.B.A JAPAN 誕生までのストーリー
一般社団法人H.B.A Japan 代表のEmiko "Emmy" Najimaは幼少期から美容に触れ、彼女のパッションとブラックカルチャーに対する思いをもとに日本の美容業界の”特殊系”場面にて貢献してきました。
幼少期
人形の髪を編んだりする時間を過ごし、まだブレイディングというスタイルの意味は理解していなかったが、幼い頃からブレイディングという技術に興味を持つ
10代前半
『ソウル・トレイン』や『コスビー・ショー』などのアフリカ系アメリカ人の文化に触れ始め、ブラックカルチャーに魅了される
18歳
独立を目指し、美容学校に入学し美容業界に入る
20歳
国際理容美容専門学校を主席で卒業
卒業後
美容室で勤務したり、子供たちに英語を教えたり、アパレルで勤務をしたりしながら自身の視野を広げる
1989
アメリカの文化に浸るためニューヨーク・ブロンクスに移り住む
ニューヨークにて
西アフリカ人の女性からブレイディングの技術を本格的に学び、ブレイディングの知識とスキルを高める
1993
ニューヨークで出会った現在の夫であるガーナ人との間に娘が生まれる
1997
健康状態の悪化により日本への帰国を決める。健康回復後、日本の美容院で働き始める
1999
ブレイディング専門プライベートサロン、B-STYLEをオープンする
新しい技法の導入
日本で一般的な「表編みによるブレイディング」の代わりに「裏編みによるブレイディング」の技法を紹介する
独自のテクニックを生み出す
自身の娘の為に痛みのない優しいブレイディング方法を試行錯誤の後生み出し、EMK™️ Painless and Care technique、無痛ケアブレイディング技法の基礎を築く。
ブレイディング普及への貢献
ブレイディングに使う素材を一般的に"ふかしげ”やパッケージに書かれたままのカネカロンと呼ばれてれていたが、「ファイバー」という名前で呼び、また現在では誰もが知っているブレイダー、プロブレイダーという呼び名も一般的に普及させた。海外ではまだ普及していなかったマイルドなサイドコーンロウやハートのコーンロウを日本で初めて発表し全国の顧客層を増やし、また毛糸を使ったブレイズ、マイクロZIZIを使用したブレイズなどを日本独自のスタイルを発案した。
2006
東京都渋谷で日本で初めてのヘアブレイディングスクールの校長を務める
2010
日本初のブレイディング協会の代表を務める
2017
ロンドンで開催されたSensational Beauty Awardで日本人として初めてTHE BEST INTERNATIONAL STYLIST受賞、THE BEST BRAIDS AWARDノミネート
2018
同アワードで2年連続ノミネート。日本で初めて「プロテクティブスタイル」という言葉を紹介し、アフリカ系ルーツを持つ人々にとってブレイディングの必要性を広める。
2019
一般社団法人H.B.A JAPAN設立 *H.B.AとはHAIR BRAIDERS ASSOCIATIONの略